あなたはTwitterが繋がらなくなったときに表示されていたあの飛んでいるクジラは覚えているだろうか、ツイートの隅にかがやかせることのできた小さなあの星は? タイムラインはフォロイーの投稿しか表示されなかったこともあの青い小鳥のことももう忘れてしまっているかも知れない。 もはやTwitterが落ちることはそうなくなったし、気に入ったツイートにはキュートなハートマークを付けるようになった。タイムラインには誰かのお気に入りやアルゴリズムによるサジェストが表示されるようになり、そして青い小鳥は失われてあとには不気味な黒いXが残された。

サービスは変化する。

わたしたちは黙って、あるいは渋々、時には文句を言いながら、しかし結局は変化を受け入れてきた。

それこそが小さな個人サイトを持つ理由で、セルフホスティングのfediverse上のインスタンスを持つ理由だ。ここでは望まなければ変化はない。変化とルールは自分で決める。決めることができる。 あの金持ちなだけのクソッタレに悩まされることもないだろう。

わたしがTwitterを始めたのは2009年のことで、それ以来14年近くのあいだ生活の一部であり続けた。そこにはことばがあった。わたしの頭の中にもことばがあり、それは渦巻いていて出口を探していた。Twitterはことばの出口に最適だった。もっともTwitterだけがそうではなかったのだが。

わたしはいまやマイクロブログの連合宇宙(fediverse)の中にいる。mastodon、misskey、akkomaなどと名付けられたソフトウェアによって作られた、電子メールのごとく対応サービスのどれかでアカウントを作成すればどことでも繋がれる仕組みの輪である。

わたしはこのfediverseを流れることばの一部になった。流行を追うのでなく、最新情報を得るのでなく、目立つためでなく、言い争いをするためでなかったから、ここには十分なことばの流れがあった。 もしこれらを求めるならかつてTwitterと呼ばれた場所はまだ候補リストの先頭にあるだろう

でも、わたしにはもうたくさんだったのだ。

さようなら、いままでことばをありがとう。


参考

Fediverseについて詳しく知りたいければ「フェディバースとは何ですか?」や「御託はいいから fediverse とは何なのか Mastodon とは何なのか、端的に理解する」を参照のこと。