佐々木はこの晩何十度目かの寝返りをうった。
どんな寝苦しい暑さでも、背嚢を枕にした雑魚寝でも、目を閉じればすぐに深い眠りについていた佐々木にとって、眠れない、ということは異常事態だった。
それもこれも、田中との”あの”激しい行為のせいだ。身体を這い回る手、喉仏を優しく噛みつかれた時に走った甘い痺れ、昂り同士を擦り付けあった時の熱い感触。それらの記憶がぐるぐると渦巻き、本来ならば休息を求めているはずの神経を逆撫でする。
目を閉じても田中、目を開けても田中。田中田中田中田中田中……。
「くそっ」
佐々木は布団を蹴り飛ばす。そしてそのまま寝台から立ち上がり、そっと居室から抜け出した。
月の光は柔らかく夜を照らす。
昼のじっとりとした暑さとはうって変わって、ひんやりと冷えた夜風が佐々木の頬を撫でる。
まるで自分のささくれだった神経を宥めるような夜の静けさだ。
足音を立てぬように兵舎の間をそっと歩く。
しんとした穏やかな月を見上げて、ふと佐々木は思い出した。
脱力してゆっくりと息を吐き、そのまま静かに吐き出す——佐々木家伝来の古武道の呼吸法であった。
優しい夜風と古武道の呼吸法が身体の熱を急速に冷まし、佐々木本来の沈着さを取り戻していく。
よし、これならまともに眠りにつけそうだ。居室に戻ろうと佐々木が踵を返そうとした時、人影が目に入った。
「こんないい夜に何をたそがれてんだよ」
いつも通りの軽薄な笑みをたたえた田中であった。
暢気な声の調子に、束の間の穏やかさを取り戻しかけていた佐々木は一気に怒りに引き戻される。
「貴様のせいで、俺はっ……」
田中の胸ぐらを掴む。言葉で表現できない感情が佐々木の頭の中を支配していた。
そして、そのまま田中を宿舎の壁に押し付ける。気づけば佐々木は田中の無防備な首元に噛みついていた。 「おいおい、俺のこと喰うつもりかよ」
「黙れ」
佐々木は田中の首から口を離して唸った。
「……それとも、そんなに俺のこと、欲しい?」
田中は佐々木の耳元に甘く低く囁く。そしてそのまま優しく耳に歯を立てる。
「今日は先約があったんだけどなぁ」
惚けたように笑う。
「貴様……!」
ますます佐々木の怒りは燃える。胸ぐらを掴んでいた手は離れ、田中のズボンのベルトに取り掛かっていた。
自分の股間に顔を埋めている佐々木を見下ろしながら、その舌遣いの意外な巧みさに田中は目を細めた。
裏筋を舐め上げ、敏感な先端部分を舌先で転がし、ぴちゃぴちゃと水音を立てて吸い上げる。
「へぇ、意外とやるじゃん」
田中は佐々木の顎の先を撫で回しながらつぶやいた。
拙いながらも佐々木は片手で睾丸を転がし、田中自身に舌を絡める。
「やっぱり頭のいいヤツは違うなぁ」
言って、田中はくつくつと喉の奥で笑う。
余裕をにじませたその口調に佐々木はまたかっとなる。悔しさを押し殺すようにより一層激しく口と舌を動かした。頭の奥が熱くなり、田中を屈服したいという思いだけが脳を支配する。口と局部の粘膜同士が擦れ合い、淫靡な水音が夜の静けさに響く。佐々木の頭が激しく上下した。
「俺のためにそんなに頑張ってくれるとは思わなかったよ」
田中の指が佐々木の首の血管をなぞるように愛撫した。ゆったりとしたその手つきは以前の口づけの感触を思い出させるには十分である。
わずかに佐々木の肩が震える。
田中は自身を吸い上げるたびに上下する喉仏に軽く爪を立てる。薄い皮膚越しに佐々木の脳天を苦しさと甘さが直撃する。
「……っ」
いよいよ佐々木の身体は電気が走ったように硬直した。
「口、止まってるぜ?」
唇の片端を持ち上げて田中は笑った。
「仕方ないな、じゃあこっちが手伝ってやるよ」
田中は一瞬腰を浮かせて佐々木の様子を観察し、一拍置いて腰を突き上げた。そしてそのまま頭を掴んで佐々木の口の奥深くに押し込む。佐々木が息を詰まらせる瞬間を味わうように、ゆっくりと腰を揺らす。
「んぐ、……げほっ……!」
喉奥を潰される苦しさに、佐々木は思わず田中の熱から口を離した。
唇の端から唾液が垂れて、月の光に反射する。
佐々木は涙の滲んだ上目遣いで田中を睨みつけた。
「そんな目で見られるとドキドキしそうだ」
楽しげに佐々木の頬を撫でる田中。
「ふざけるな……っ」
掠れた声で反論し、田中の手を払い除けたものの、肩で息をするその姿に迫力は薄かった。
「ほら、俺のこと気持ちよくしてくれるんだろ」
田中は襟を掴んで佐々木を引き上げる。笑いながら佐々木の手を導き、自分の熱を握らせた。
田中はもう一方の手で佐々木の昂りを握り、粘った感触のそれを軽く扱きはじめる。
負けじと佐々木も手を動かし始め、夜の兵舎の裏で、くちゅくちゅと湿った音が静寂を破る。遠くの歩哨の足音がこちらに向かってきているように感じ、佐々木は身を固くする。
「へぇ……、そんなに熱くなってかわいいな?」
田中は佐々木の張り詰めたものを指先でなぞる。佐々木は奥歯を噛み締め、より一層強く田中のものを握る。 お互いにお互いのものを擦り上げる。
田中がゆっくりと焦らすように扱けば、佐々木は裏筋をなぞるように擦る。
(……こいつ)
田中の喉が震え、押し殺した息が漏れる。舌で唇を舐めるが、その動きには苛立ちがわずかににじんでいた。
佐々木の顔を見れば、目からは普段の鋭さが消え、ただ必死に快楽を受け取っているような恍惚とした目をしている。
「ははっ……お前も気持ちよさそうだな」
田中は努めて余裕ぶる。口角を上げたが、それが自然な形に曲がったかは定かではない。
指先が粘ついた熱をすくうたびに、じわりと身体の力が抜けそうになる。佐々木の手の動きが敏感な部分をとらえて、離さない。
「んっ……く」
どちらもともなく喉が鳴る。ぐちゅり、と水音が耳につく。
「……チ……ッ」
舌打ちしようとしても喉が震えてうまくいかない。お互いの手がさらに激しくお互いを追い立てる。指の動きが無意識のうちに同調する。
「ぅ……あっ」
何かを堪えるかのように奥歯を噛み締めたが間に合わなかった。
どちらが先かもわからぬまま熱が弾ける。
びゅく、と粘った白濁が指の隙間を汚し、蕩けた呼吸が交錯する。
田中は佐々木の片手を握ったまま薄らと目を閉じ、佐々木は力なく田中の方に額を預けた。粘ついた感触が指に残り、妙に生々しく感じられた。
「はぁ、いい顔してんな」
仰向けになって浅い呼吸を繰り返す佐々木を見、紫煙を吐き出しながら田中は独語した。
切れ長の目、通った鼻筋、熱を持った赤い唇……それらがみな快楽の余韻に浸りきっているように見えて、田中は満足感を覚える。
田中は煙草を咥え、軽く吸い込んだ。灰色の火が静かに光を灯し、じわりと燃える。
指に湿った感触、熱い吐息を感じながら、煙草を持たない左手で佐々木の唇を撫でる。そしてそのまま薄く開いた口の中に親指を滑り込ませる。
舌で押し返すでもなく歯で噛み付くでもなくただ受け入れられたその指を、掻き回すように動かすと佐々木の口がちゅう、と吸い付いた。
田中は唇の端を吊り上げ、思わず目を細める。さらに指を押し込むと、先ほど田中自身におこなっていたのと同じように舌を絡ませた。
煙の匂いが絡みつくように佐々木の顔を撫でる。
「へぇ、そういうことしてくれるのか……俺のこと、好きになっちゃったのかな」
笑いながらそう話しかけると、蕩けきっていた佐々木の目が見開かれ、がぶりと田中の指に噛みついた。
指に痛みが走る。だが、田中は動じることもなく、ただ煙を吐きながら笑った。
「お前、今にも俺のこと殺しそうな目をしてるな?」
言って指を口から引き抜くと、佐々木の唾液が薄く糸を引く。
「怒ってないで、また楽しもうや」
田中の吐いた紫煙がゆっくりと広がっていった。
—-『硬派でエリート軍人の俺が遊び人ごときに翻弄されるわけがない!』第三話「逆襲」終わり
2025.03.20 ver.1.0