『硬派でエリート軍人の俺が遊び人ごときに翻弄されるわけがない!』

第四話「耽溺」

気合の声が道場に満ちる。強く踏み込む音が床を揺らす。

肌からは湯気が立ち、飛び散った汗が朝の光にきらめいた。

この身体は軍のため、国のために捧げられたもののはずだ。それなのに――熱を帯びた肉体が夜の記憶を呼び醒ましかける。集中しろ、と自分を一喝し、木銃を握る手に力が入る。決まり通りの動きを再生するのに意識を戻す。その気迫はいよいよ増してきた。

休日の早朝から鍛錬を欠かさぬ佐々木の姿がそこにはあった。

「感心感心」

後ろから声をかけられ、佐々木の背筋がさらに伸びる。 「連隊長殿」

敬礼した佐々木を見て「いや、いい、いい、楽にな」と連隊長は笑ったが、その前には「完璧な軍人」の姿があった。

「朝から精が出るね」

「習慣ですから」と、短く応える。 「いやその習慣というものが難しいのだ」「そういうものでしょうか」

幼い頃から軍人となるべく体に規則を叩き込まれた佐々木には怠けるということがわからない。

「体を壊さん程度にな」と労わられ、佐々木の頭は自然と下がる思いであった。

しかし、「そういえば、この頃田中と近いようだが…」と話が変わった時、佐々木の「完璧な軍人」の仮面の下の心臓がどきりと揺れた。

まさか、あんなことが感づかれるはずがない、いやでも……。

頭の中はフル回転し始めた一方で、表情はぴくりとも変わらなかったのは職業的自制心のたまものである。 「付き合ってみると案外悪い人間ではないだろう、田中はあれで兵思いのいい男だよ」

と続き、また連隊長が笑ったので、佐々木は内心胸をなでおろした。

「は、そうでしょうか…」

確かに田中の周りには人と笑い声が絶えない。しかし、それは軍人に必要な資質だろうか? 佐々木は心の中で首をかしげる。

「あの男には少しは自分を律する強さが必要なのでは?」

と本音をぶつけると、

「まあ、田中もお前を見習って少しは真面目になったらいいんだがなあ」

と言いながら笑う。

「ご期待に沿えるように励みます」

「頼んだぞ」

連隊長は信頼の笑みを浮かべながら佐々木の肩を軽く叩いて、道場を後にする。それにしてもよく笑う人であった。


うだるような暑さの昼とうって変わって夜の空気はやけに冷たく感じる。だが、佐々木の肌には汗がじんわりとにじんでいた。

街の様子は煌めき、昼のそれとはまた違った顔をしているらしい。

一人で夜の街を出歩くことなど滅多にない佐々木にとって、この光景は何もかも珍しく感じる。

しかし田中がよく出入りをしているという酒場に向かって進めるその歩調には、よそ見をしようという気配は全くなかった。

ある酒場の前でふと足が止まる。漏れ聞こえる笑い声が知ったものに思えて自然と耳をそばだてた。

「……ねえ、そんなに指絡めて、まさか寂しいの?」

悩ましげな高い女の声だ。

「寂しいのはそっちじゃねぇの? こんな夜に一人で寝るのか?」

こちらはどこかで聞いたような軽そうな男の声。

……客と店員にしては妙に艶っぽい。いよいよ佐々木は盗み聞きの体勢になる。

「ふふ、誰かさんが一緒に寝てくれるなら、今夜は寂しくないかもね」 女はくすくすと笑う。

「お望みなら、朝までたっぷり付き合ってやるぜ?」

……こんな馬鹿げたことを平気で言う知り合いを、佐々木は一人しか知らない。

「あら、頼もしいこと。で、どう可愛がってくれるのよ」

「それはお楽しみってやつだよ。……ここで教えてやってもいいけど?」

間違いない、田中だ。確信を得て、佐々木は酒場の扉を押し開けた。

ほとんど客のいない酒場のカウンター席で、田中が女主人だろうか、豊満な胸をした女の手に自分の指を絡めてじゃれ合っていた。目がその艶めかしい指の動きを無意識のうちに追う。

目を奪われたことに気づき、佐々木は眉間にしわを寄せた。

先ほどまできゃあきゃあと笑っていた女主人はいらっしゃい、と佐々木に声をかけた。 お世辞にも美しいという形容詞は付けがたかったが、笑顔が魅力的な女である。

こういう女にも手を出すのか。噂通りの男だな、と佐々木は妙に納得した。

「あら、見かけない男前ね」

佐々木は軽く会釈する。

「あなたも一杯、どう?」

「いえ、自分は結構」

佐々木は少し迷ったが、けっきょく断った。今夜は別に楽しく飲み明かそうというわけじゃない。

「お堅いわね」

「……コイツの相手は大変でしょう」

「そりゃあもう!あなたが連れて行ってくれると助かるんだけど」

「言われなくてもそうするつもりです」

真顔で佐々木が応え、女主人はふぅんと佐々木の顔を見つめた。

そして

「今夜も楽しいご予定かしら」

くすくす、とまた笑う。

そこで放置されていた田中が少し不服そうに声をあげた。

「あのさ、俺のあつかい、なんか雑くない?」

「いいだろ、行くぞ」

逸る気持ちで田中の腕を掴んで立たせ、軽く引っ張る。

「いや、行くぞってどこ行くんだよ。アテあんのか?」

佐々木の足が止まる。

……そう言われてみればそうだ。佐々木は思わず立ち尽くす。

そんな佐々木を見て田中は女主人に目配せした。

「もう、仕方がないわね」

特別よ、と言いながら何やら鍵のようなものを出してくる。

「助かるぜ」

鍵を受け取った田中はそれをくるくるともて遊びながら礼を言った。

「じゃあいってらっしゃい、悪い坊やたち」

「誰が悪いって?」

田中の抗議の声が夜の酒場に響いた。


一度酒場から出た二人は、ぐるりと酒場の裏側に回った。

「貴様こそどこに行くんだ……?」

「まあ任せとけって」

裏口の扉をギイと開け、ぎしぎし軋む狭い階段を男二人で上り、ある部屋の前で鍵を開ける。 

田中が戸を開け放つとそこは暗い小部屋であった。

煙草の匂いが染み付いているのか、つんとした煙のにおいが佐々木の鼻腔を刺激する。

(ここは……宿泊施設か?)

先に部屋へ足を踏み入れた佐々木は内心首を傾げる。

スイッチを入れると裸電球のほの暗い灯りが部屋の中をうっすらと照らす。

畳敷きの部屋に一本の酒瓶が無造作に転がされている。

そのままふと視線を落とすときちんと敷かれた白い布団。

かちゃん、と鍵がかかった小さな音がやけに大きく静かな部屋に響く。

「なーに固まってるんだよ」

「いや…」と佐々木は言い淀んだ。

(今日は俺から…いやだがそれにしてもこれは……)

「もしかして、いまさら気付いた? お堅い少尉さん?」

煽る田中の声に頭に血が上りそうになるが、努めてゆっくりと振り返った。にやにやと笑うその顔を見据える。

「黙れ」

そのまま田中を壁に押し付け、首元にゆっくりと唇を落とした。

夏の空気に熱せられた肌がじんわりと熱を帯び、すぐ下を流れる脈の鼓動がわずかに感じられる。

田中のカーキ色の軍衣の釦に手を伸ばし、一つずつ心の中で数えながら外していく。

窓の外の軍営の灯りが風に揺れているのが見える。

歩哨の兵士か、時おり灯りが影になりちらちらと光る。

そんな景色をはるか遠くのことのように思いながら、何度も唇で田中に触れて味わう。その度に皮膚と唇が合わさる音が妙に響いた。

「おっと、今日はずいぶん丁寧だな?」

「……何か問題でも?」

佐々木の唇は首筋をじっくりと辿り、ふと赤い跡に気がついた。

確かめるように舌でなでると田中の肩が僅かに揺れる。そのごく小さな反応を逃さなかった佐々木の唇はより一層強く吸い付く。

「へぇ、そういうこともしてくれるのか」

いつもと変わらぬ軽い調子だが、声の端が微かに震えている。

そのまま、背中に周り、ほんの少し迷って田中の背中に舌で触れた。しっとりと汗で濡れた皮膚の塩っぽい味を感じる。

こんなことをして、何になる…、一瞬、唇を離す。だが逃げるように感じて、また舌を這わせた。時おり口付けを交えながら背中を舌で愛撫する。

「焦らしてくれるなぁ、少尉さん」

身体を引き寄せるために田中の腹に回していた手に力が籠る。

「……貴様も、いいんだろうが……っ」

田中の腰の熱をまさぐり、軍袴ごしに固くなった昂りに触れると佐々木は唸った。

堪えきれず佐々木は田中の腰に手をかけ、昂りを内腿に押し当てる。汗ばんだ肌がぬるりと擦れ合い、じっとりとした感触が佐々木の先端を刺激する。佐々木はゆっくりと摩擦を始めた。佐々木の熱い昂りが田中の内腿を滑るたび、ぬめった音が響き渡る。汗が二人の間で滴り落ち、男らしい匂いが部屋に充満した。

熱い息を田中の背に吐きかけながら、胸に手を伸ばし荒々しくも乳首をつまむ。

田中の身体はそれに反応してわずかに硬直し、佐々木はさらに強く擦り上げた。田中の口から熱い吐息が漏れる。

その結果に満足した佐々木の手はさらに下に伸びた。

田中の昂りを握り、扱き上げる。指が田中の脈打つ熱を強く締め付け、荒っぽく擦った。

「っは、落ち着けって……」

笑おうとしたが、佐々木の荒々しい手の動きに声が途切れる。

「さっきの丁寧さはどこにいったんだよ」と煽りながらも、声の震えから余裕の裏の熱が見え隠れする。

聞いてか聞かずか、佐々木の腰はさらに激しく突き動いた。摩擦を行うたびに田中の内腿に擦れる熱と汗が全身を駆け巡る。

「あぁぁっ……!」

佐々木の喉から掠れた叫びが溢れた。

「貴様のせいで、俺は、俺はっ……」

低く喉から声が絞り出される。

一心不乱に腰を打ちつけると、汗と肉の擦れる音が静かな部屋に響き渡った。

「くそっ……」

佐々木は田中の肩に顔を埋め、叫びながら噛みついた。歯が田中の肩に食い込む。肩から滴る汗が佐々木の唇を濡らす。

もう無理だ。掴んだ田中の腰に思わず爪をたてるが、すぐに頭の中が快楽に塗りつぶされて目の前が真っ白になる。

佐々木の脈動が田中の内腿に飛び散る。熱い滴りが肌を汚すたびに全身が震える。

佐々木は悪態を吐きながら崩れ落ちる身体を田中に預けた。


「ったく、俺もこんなになっちまってるんだぜ」

息を整えようと深く呼吸を繰り返し、胸を激しく上下させている佐々木を見下ろして、田中は笑った。

田中は自分の昂りを扱く。

もはや佐々木は何か言葉を口に出す余裕もない。 まだ快楽で靄のかかった頭でぼんやりと田中の肩口――自分が噛みついた跡で赤くなった――を見つめていた。 汗の味と肉を噛む感触、そして頭の中を塗り潰すような激しい愉悦……

余韻というには濃厚すぎる形で、それらの記憶が全身を支配していた。

「うっ」

田中が小さな声とともに高みに達し、精が佐々木の筋肉質な胸に放たれる。

その熱いものに、佐々木の身体はビクンと跳ねた。

「貴様……」

「お前って意外とかわいいぜ」

手拭いで胸を汚した精を拭いてやりながら田中は唇の端を釣り上げる。

「ていうかさ、せっかく鍵借りたのに俺たち布団使ってなくない?」

「どうでもいいだろうが、そんなこと」

低く呻きながら佐々木は起き上がる。脱ぎ捨てた服を拾う手はいつもの彼にしては珍しく気怠そうである。 裸体のままごろりと布団に転がった田中はあくびをした。

「あーあ、このまま休んでいきたくなるよな」

「何を考えてるんだ、貴様は」

軍服の釦を留めながら佐々木は呆れ返って田中を睨む。

窓の外の軍営の灯りは二人を待ち構えるように輝いている。

「帰るぞ」

詰襟の襟元を整えながら佐々木は淡々と田中に告げた。

「はいはい、わかったよ、少尉さん」

二人は肩を並べて部屋を後にする。汗と熱だけを残して。

—-『硬派でエリート軍人の俺が遊び人ごときに翻弄されるわけがない!』第四話「耽溺」終わり

2025.03.22 ver.1.0


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