あの日とはうって変わって酒場は賑やかだった。酒が注がれる音、客の笑い声、食器がかちゃかちゃ触れる音。そんな音たちの間を女主人や女給たちが慌ただしく行き交う。あちらでどっと笑い声が起きたと思えば、こちらには肩を組んで歌う一団がいる。そんな中、カウンターで静かに肩を並べる二人がいた。
田中は麦酒を瓶から注ぎ、佐々木は静かにコップを傾ける。
淡々と酒を飲む二人の間には酒場の賑わいとは別の場所のような空気が漂う。
そういえば、と佐々木が口を開いた。
「異動命令が出た」
「へぇ~、どこ行くんだ?」
と田中。
「満洲だ」
佐々木は端的に応える。
「満洲か、そりゃけっこう寒そうだな」
と田中はコップの麦酒を飲み干す。
「……それだけか?」
「なんだ、行かないでくれって泣いて縋り付いてほしかったか?」
「いや……」
と返して、佐々木は黙りこむ。沈黙が二人の間に流れ、酒場の喧しさがより一層強くなる。
一瞬の沈黙がひどく長く佐々木には感じられたが、それを破ったのは田中のいつもの軽い調子だった。
「じゃ、最後だしさ、”思い出”でも作っておくか」
「何が”思い出”だ、貴様の頭には”それ”しかないのか」
やはりいつも通り呆れたような声で佐々木は田中を睨む。田中は声をあげて笑った。
「お前も俺と一緒のこと考えてるんだ? 同じ穴の狢だろ」
「なっ?」と田中は同意を求めたが、佐々木は「……黙れ」と目をそらす。
俯いた佐々木の視界にすっと鍵が滑り込む。
田中もそれを見とめ、二人の視線は小さな鍵に釘付けになる。
「いやあ、気がきくなぁ」
田中は破顔したまま差し出された鍵をつまみ上げる。
女主人はため息混じりに笑った。
「まったく、ほんとに悪い坊やたち」
佐々木は何も言わずに空のコップを置いて立ち上がる。鍵を指でクルクル回しながら田中は佐々木の背中を追う。
「ほら、やっぱり同じ穴の狢だ」
「知らん」
あれから一度きりだったが、小部屋への道を佐々木は忘れてはいなかった。
酒場の外に出てぐるりと周って裏へ。裏口を開け、階段を登って以前も入った一室へ。
何の迷いもなく決然と歩みを進める佐々木の背を見て、田中は内心自分の手腕に感心せざるを得ない。下世話な話を嫌い、そう簡単には人を寄せ付けない連隊一の硬派たる佐々木……その硬派の仮面の下の欲望が暴かれただけでなく、自ら抱かれるために誘いをかける相手がいるなど、誰が想像できるだろう?
いつも通りきちんと敷かれた白い布団を見て、じっくり佐々木の肢体を楽しむ自分を想像した田中は笑みを隠せなかった。
「何をニヤついてるんだ貴様は」
振り返った佐々木が眉を顰める。
「俺はもともとこんな顔さ」
田中は肩をすくめる。
まあいい、と佐々木は小部屋の鍵をかける。かちゃん、と小さな音が大きく響いた。
相変わらずだな、と田中は苦笑し、佐々木の前に跪く。
当たり前のようにズボンのボタンに指をかける田中に、佐々木は「おい、貴様……」と抗議の声をあげるが、内心の期待からか今さら強く止めようとはしなかった。
田中がゆっくりと邪魔な布を引き下ろすと、熱を孕んだ佐々木のそれが露わになる。
「”知らん”なんて言いながらこんななんだからなあ」
くすくす笑いながら、むき出しの敏感な部分に口付けする。佐々木の強がった顔が歪むのを楽しみながら、粘膜と粘膜を触れ合わせて軽い音を立てる。
田中は反り立った昂りをわざと焦らすようにゆっくりと舐め上げ、佐々木の腰が震えるのを確認してから睾丸を口に含む。舌で転がすたびにぴちゃぴちゃと音を立てる。
根本を指で刺激しながら、田中は熱く脈動する佐々木自身を咥え込んだ。
「んっ……く」
佐々木は喉を鳴らす。薄く開いた口から抑えきれぬ熱い呼吸が漏れる。
田中は上目遣いで佐々木の反応をうかがいながら昂りを強く吸う。淫靡な水音が微かに聞こえる酒場の賑々しさと混ざり合う。
「ぅあ、……あぁっ」
強い刺激に思わず喘ぎ声が響いた。佐々木は田中の頭を押さえつけながら腰を突き出し、敏感な部分を喉奥に擦り付けた。自分の醜態に目を閉じるが快楽を貪る身体の動きは止められず、必死によい場所を求める。田中は息を詰まらせながらも、佐々木の無様な欲に目を細めて応えた。
佐々木の腰の動きが一層激しくなり、田中の喉の奥を押し潰す。田中は喉を潰される苦しさを感じながらもその脈動を半ば飲み込むようにして受け入れる。
佐々木の指が田中の髪を掴み、掠れた悲鳴のような声が奔出する。
「っ……出るっ……」
限界まで張り詰めた昂りが弾けるように、熱い波が一気に押し寄せる。田中の口内に熱い精がほとばしった。脈打つたびに佐々木の全身がわずかに跳ね、膝が震える。
佐々木の全てを口で受け止めると、田中はゆっくり喉を鳴らしながら精を飲み下す。
田中の上下する喉を潤んだ目で見つめながら、佐々木は恥辱と解放感に身を震わせた。
佐々木は震える膝を治めようと深い呼吸を繰り返しながら、自分の精を飲み干す田中の喉の動きを見つめていた。
唇の端を濡らしたまま「お疲れさん、あっという間だったけどそんなに良かったか?」と田中は笑いながら佐々木の喉元に口を寄せる。
最初はゆっくりと首の筋に沿って舌を這わせる。佐々木が再び喉を鳴らすのを見てから優しく歯を立てる。 湿った感触と軽い痛み、息が詰まるような苦しさ…それらが混ざりあって、冷静さを取り戻そうとしていた佐々木の視界がぼやける。
「……っ……!」
もう何も考えられない。次の瞬間、熱い欲望を目に燃やした佐々木は田中を組み伏せ、畳に押しつけていた。そしてまた硬さを取り戻したそれを田中のはだけた胸元にすり付ける。本能のままに佐々木が腰を動かすと汗ばんだ肌と濡れた昂りが滑る。ぬめったような淫らな音を立てて田中の胸板を汚した。
いつもと違う佐々木の様子に一瞬、へぇ、と田中は目を細める。 そんな田中の目にも気づかず、ただ熱に浮かされて呆けたような表情で佐々木は快感を追い求めていた。
「おいおいこっちだろ」
笑いながら田中は佐々木の腰を自分の昂りに誘導する。熱同士が重なり、佐々木の身体がこわばる。
硬く昂った二つが擦れ合う。田中自身もその感触を楽しみながら、佐々木の腰の動きを導いた。はるか遠くに酒場の喧騒が聞こえる。小部屋には湿ったものが激しく触れ合う淫靡な音と、はっはっという佐々木の荒い呼吸の音が響く。
佐々木が必死で腰を振る中、田中の手が鍛え上げられた太い腿を滑り、汗に濡れた肌を撫で回した。
「っ……は……!」
佐々木の動きが激しくなるたび、田中の呼吸も次第に乱れ始めていた。笑いながら楽しもうとするも、自然と酸素を求めるかのように薄く唇が開く。
乾いた唇を舌で濡らしたが、その動きは微妙に震えていた。
佐々木は限界が近付き、さらなる愉悦を求めて田中の頭を引き寄せ、唇を重ね合わせた。
突然の行動に田中は刹那固まるがすぐに舌を絡め、佐々木に応える。二人の舌がお互いを求め合うように蠢き、唾がぬるぬると混ざり合う。佐々木は絡んだ舌を追って貪るように深く口吻をし、あふれた唾液が田中の口の端から流れ落ちた。
口づけのぬるりとした感覚と昂りが擦れ合う刺激が混ざり合う。佐々木の腰がびくりと跳ね、田中の手は腿を強く掴む。全身が痙攣する。どくどくと二人のそれが脈動し、そのたびに肌を白濁が汚した。 「はぁ……お前、やりすぎだろ」
田中は佐々木の唇を甘噛みし、ゆっくりと唇を離す。
かすれた息が交錯した。
「はは、今日はお前……本当にヤバかったな」
田中は裸のまま布団に横になって佐々木に声をかけた。
佐々木は肩で息をしながら無言で軍衣の釦を留める。
黙々と身だしなみを整えるその姿はあまりにも”いつも通り”だ。また一週間もすれば佐々木が目の前に現れて不器用に誘いに来るのではないかと思うくらいには。
「肩章が歪んでるぜ」
田中は佐々木のことを見上げながら指摘してやる。
佐々木は肩に触れ、赤い肩章の星を正しい位置に直す。制帽を拾い上げて頭に載せる。
先ほどの痴態を忘れてしまいそうなほど、どこに出しても恥ずかしくない帝国陸軍少尉佐々木峰貴が出来上がる。その佐々木は何も言わず部屋から出ていくつもりらしい。
「向こう十年は俺でいい夢見ろよ」
笑いながら田中は声を投げかけたが、一瞥もくれず佐々木は鍵を開ける。
そんな佐々木の背に田中は一言付け足した。
「……佐々木」
一瞬、扉にかけた手を止めたものの、佐々木はガラガラと戸を開けてそのまま真っすぐ敷居をまたぐ。ぴしゃりと戸が閉められた。
「ま、呼んだところでどうにもならねーか」
この部屋まで来たのと変わらぬ迷いのなさで去っていった佐々木の足音を聞きながら、田中は独語する。
佐々木の足音はどんどん部屋を離れ、遠くの酒場の喧騒に溶け込んでいく。
田中は煙草を口にくわえ、燐寸を摺る。ぽっと火が灯るもののすぐに消え、田中は軽く舌打ちした。もう一度、火をつけようとするがまたすぐに消える。
「湿気てるな……」
煙草を口にくわえたまま燐寸箱を放り投げて布団に身を預ける。
「あーあ」と自分でも理由のわからぬまま、苦笑ともため息ともつかない声が口から漏れ、田中は目を閉じた。
『硬派でエリート軍人の俺が遊び人ごときに翻弄されるわけがない!』第五話「最後の夜」終わり 2025/03/23 ver.1.0